過失傷害罪とは、過失により人を傷害した場合に成立する犯罪です。
過失傷害罪は、刑法209条1項に規定されています。
過失傷害罪の刑事罰は、30万円以下の罰金または科料(1000円以上1万円未満)です。
過失傷害罪は、告訴がなければ公訴を提起することができないとされており(刑法209条2項)、このような犯罪を親告罪といいます。
故意に傷害を負わせるのは傷害罪であり、故意はないものの過失によって傷害を負わせるのが過失傷害罪です。
傷害罪の刑事罰は、15年以下の懲役または50万円以下の罰金ですので、過失傷害罪に比べ、かなり重い犯罪です。
ただし、過失傷害罪それ自体は刑罰が軽いですが、他に過失運転致死傷罪などの特別な過失の犯罪は重い刑罰が科されることが多くなっています。
傷害とは、何を指すかについて、学説の多数の見解は、人の生理的機能に障害を加えることと解釈します。
この説では、髪の毛を切断することは傷害には該当しません。
判例は、梅毒の感染、長時間の失神状態、胸部の疼痛、キスマークをつけることについて、傷害罪の成立を認めており、学説の多数と同様の見解と考えられています。
過失とは、一般的に、注意義務違反と解されています。
つまり、注意をする義務があるのに注意をしなかったことにより傷害の結果が発生してしまったことが問題とされています。
その注意義務の内容にてついて、学説上の争いがあります。
過失については、刑法学上、非常に複雑な議論がされております。
いわゆる旧過失論といわれる古い考え方は、過失は故意と同様に、人の内心の主観的問題であることを重視しました。
そして、注意をしていれば結果発生を予見できたのにしなかったという予見可能性・予見義務違反が、過失の中心とされてきました。
これに対し、新過失論は、旧過失論の予見可能性を中心にした過失では、例えば自動車を運転している以上、誰かを傷付ける可能性を予見できるのであり、過失が広く認められすぎると批判します。
そして、予見できるかどうかではなく、結果発生を回避できたかという結果回避可能性・結果回避義務違反を過失の中心としていきます。
この新過失論では、結果を回避すべきなのにしなかったという客観的な行為の面が重視され、行為者の内心が中心ではなくなります。
そして、実務も、旧過失論が重視する予見可能性・予見義務違反よりも、新過失論が重視する結果回避可能性・結果回避義務違反を重視するようになっています。
過失の内容として、具体的にどのような結果回避の措置をする義務があるかということが、裁判で争われることが多いと思われます。